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法住寺


俗離山法住寺:新羅時代の文人の崔致遠(858~?)が歌いました。
『道不遠人人遠道   山非離俗俗離山』 
道は人を遠ざけないが、人は道を遠ざける。
山は俗を離れないが、俗は山を離れたがる。


人間が自然を失うと人間性を失う。自然は世俗の母性、法が住むこのお寺は世俗が
山を離れようとするところに位置している。大法住寺が俗離と言う山にあることは
道と俗が同居している意味ではないか?


磨崖如来像 :この磨崖仏の前に立った時、この巨石の大きさにびっくりした。
どこかから飛んで来たような巨石に刻まれているこの仏像は丸いお顔、細い目、
厚い唇、直線的な肩、細い腰などが非写実的で、どの仏様であるか分からなくなる。
学者の曰く、新羅末期又は高麗初期に推定される。全体の高さ6,18m。


弥勒仏像:『俗離山大法住寺事蹟』に依ると35間の龍華宝殿が1872年に破壊
され、弥勒三尊の座台3基と弥勒仏像の礎石ばかりが当時の規模を語っていた。
破壊から100年あまりが経ち、1964年現在の弥勒仏像を建立した。


法住寺 捌相殿 :真興王14年(西暦553年)に建立したが、任辰倭乱(1597年、
慶長の役)の際に消失、5年後から復旧を始めたが1626年に棟上が出来た。
法住寺の精神とは80余尺の巨大な弥勒仏像と捌相殿(パルサンジョン)に法が
篭っていることから法住寺と名付けられたことにある。
西暦553年、新羅の真興王14年に義信祖師が創建した。 国宝55号。


捌相殿の内部には釈迦如来の一生を八相の絵にして奉安されている。
この八相幀を配置したのでこの五重木塔を捌相殿と呼ぶようになった。


日本には江戸時代以前の五重の塔が22塔もあるそうだが、その建築方式を
伝えたはずの朝鮮半島にはこの 捌相殿が唯一である。


双獅子石灯 : 捌相殿の後ろの中心部に国宝5号に指定された石灯が
立っている。朝鮮の石工の神秘の技が籠めているこの席灯は
新羅33代の聖徳王19年、西暦720年に制作された。


高さ10尺の八角の石灯で、2頭の獅子が向き合って、後ろ足で複蓮石を踏み、
前足では仰蓮石を支えている。八角の地台石の上の仰蓮石の周りには二重の
蓮華の花びらが彫刻されいる。新羅時代の典型的な石灯の形態をとり、
新羅の石造芸術品の傑作のひとつとして評価されている。朝鮮半島には獅子が
いないが、新羅時代よりもはや中近東地域との交流が盛んだったことは
色んな歴史の本、遺物、遺跡などで確認が出来るので可笑しく思うことはない。 国宝5号。


喜見菩薩像:西暦720年に造成された。仏になるため頭と手の熱いことを忘れ、
一心で阿弥陀仏の前に供養する立像である。香炉の面には蓮華紋が彫刻され、
菩薩像の胸の部分の法衣が開いている。腕の筋肉にも力が入って事実的に
彫刻をした芸術性の高い菩薩像であるが損傷された部分が多いことが残念。
紅葉の背景が 菩薩像の美しさを浮き彫りしてくれる。宝物1417号。


石蓮池:石蓮池を初めとした法住寺の石物は創立当時に造成されたものと
考えられる。八角の地台石の上に3段の台を置いて、複蓮を彫刻した
一つの台石を置いた。半開の蓮華の花びらには天人宝相華が浮き彫りされている。
半開の蓮華は純粋を象徴して、早く仏法に戻ることを催促している無言の教えではないか。高さ1.95m、周り6.65m。国宝64号。


円通寶殿 : 法住寺の創建当時の建物を776年真表律師が重創した。
壬辰倭乱の際に消失、1624年復元した。
殿閣の内部には2,8mの観音菩薩坐像が奉安されている。
特徴は正方形の特異な建築様式で華麗な建築美を見せてくれている。
寶物916号


大雄寶殿 : 新羅進興王14年西暦553年創建、1624年重創した170坪の
大規模の建物である。内部には5,5mの坐像の三神仏が安置されている。
中央には大日如来、左は阿弥陀仏、右は釈迦牟尼仏である。
室内の安存仏としては韓国で最も大きい仏像である。寶物915号

四天王石灯:西暦720年制作、韓国の石灯の整形の八角柱の形態をとっている。
重要な上台の各面に四天王像が刻まれて四天王石灯と呼ばれている。寶物15号



冥府殿