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通道寺境内


通道寺一柱門 : 一柱門とは日本語ではなんと言うのでしょうか?韓国の辞典、 YAHOO.CO.JPに調べたが分かりませんでした。一柱門とは柱が一列になっている事から由来されたのです。お寺に入る一番目の門を独特な様式に建てたのは、一心を象徴し、神聖たる伽藍に入る前に世俗の罪を仏法の力で綺麗にし、一心で真理の世界へ向かうと言う教えがあります。ここの通道寺の一柱門には朝鮮時代の高宗皇帝のお父様、興宣大院君が書いて、左右の柱には“佛之宗家”“国之大刹”と言う柱聯が貼っており、このお寺の位を表しております。(斗山百科より引用)


天王門 : 天王門は霊山仏国に上る関門です。この天王門は仏様のおられる所を守護する四天王をまつるところで、通道寺の四天王像は大きさだけでなく、彫刻の優秀性も評価される傑作品です。須弥山(古代インドの神話的な山、しゅみせん)の四方を守り、衆生が仏道に従って、正しく暮らして行くかを指導する仏教以前からの神話的な存在であります。


指国天王 : 須弥山の東方を守る、剣を手にしている。善良な人には賞を上げ、悪行を行う人には罰を下し、人間の命と土地を守ってくれるので指国天王と言う名前が伝わっております。


多聞天王 : 須弥山の北方を守る、琵琶を手にしている。毘沙門天王とも呼ばれ、お釈迦様の説法を漏れなくすべて聞くと言うことから多聞天王と呼ばれるそうです。暗黒界に住在する悪霊の頭で、財物と福徳を扱う存在です。


広目天王 : 須弥山の西方を守る、塔を手にしている。大きくて広い目で色んな色と根まで見て須弥山の西方の土地と衆生を助ける天王です。古代インドではシバ神の化神で目が三つだと言う由来もあります。


増長天王 : 須弥山の南方を守る、龍を手にしている。よく伸びる、又は広がると言う意味の増長と言う字を使い、衆生の利益を広くて長くしてくれる天王であります。


不二門 :  大乗仏教用語。宇宙の万物が永遠に平等で、彼此の差別のないことを不二と言い、この法界不二の真理が仏法の軌範なので不二法と言う。一切の聖人がこの不二の法に寄って真理に辿り着くので不二法門と言います。 扁額には『源宗第一大伽藍』と書いているが仏舎利を奉安しているからでしょう。その上の扁額の『不二門』は中国の宋の元章和尚の字です。


不二門 : 不二門はお寺に入る第三の最後の門です。これからが中爐殿の大雄殿、皇華閣、圓通、甘露などが見えてくる。


極楽宝殿 : この建物は通道寺の創建当時よりあったのではなく、1369年薬師殿と同時期に建てられました。阿弥陀仏が自己の理想を実現した極楽浄土で常に衆生のために説法しながら理想国土を建設している。


阿弥陀仏は観世音菩薩と大勢至菩薩を左右脇侍に置く。観音菩薩は知恵を使って衆生のことを聞いて苦痛より救い、大勢至菩薩は知恵の光明で衆生を照り合わし、限のない力を得るように助けてくれる。阿弥陀仏を向かって右が大勢至菩薩である。



霊山殿 : 下爐殿一廓の中心は霊山殿であり、中爐殿の大光明殿、上爐殿の金剛戒壇が通道寺の骨格である重要な建物である。この辺りは霊山仏国を象徴する。霊山又は霊鷲山と呼ばれているところは釈迦牟尼さまが説法しているところだった。この山には鷲の群れが多くあったことからこのような名前が着いたそうである。


八相仏画 :霊山殿には釈迦如来の坐像と八相仏画が奉安されている。八相仏画は釈迦牟尼の生涯を描いた物で仏教徒らが八相(八つの事件)に分けて説明することから由来している。その八相とは、①兜率来儀相(兜率天から降りて来る)②毘藍降生相(釈迦牟尼のお誕生相)③四門遊観相(東西南北の四門の外を見て、出家を決心。)④踰城出家相(王位を捨てて出家修道)⑤雪山修道相(雪山で大覚を得るために苦行する)⑥樹下降魔相(菩提樹の下で悪魔の降参を得る)⑦鹿苑転法相(鹿野苑で真理の説法を始める)⑧双林涅槃相(50余年の真理の伝播に尽力した釈迦牟尼の涅槃)この八相のために霊山殿を八相殿とも言う。


霊山殿の礎石 : 自然の石を使った礎石が印象的だった。


霊山殿前の石灯篭 : 灯(あかり)籠(かご)は明かりの火が消えないように囲いをした物である。 石灯籠、銅灯篭、灯台のように固定された固定型、吊下灯篭、携帯も出来る提灯があるが、石灯籠は仏教の寺院、


三重石塔 : この石塔は大きい礎石の上に二重の基壇を立てて、その上に三重の塔身を上げた新羅の後期の三重石塔である。1987年解体修理の際に朝鮮時代の白磁と小型の金銅仏像2具と青銅サジが見付かった。現在聖宝博物館に保管されている。


薬師殿 : 高麗時代の恭愍王、1369年初創された。今の建物は通道寺の創建の時代より後代の物である。薬師如来の左右に日光菩薩と月光菩薩を脇侍に仕える伝統的な薬師三尊を祭った。現存する韓国のほとんどの寺刹に薬師殿あるほど、薬師信仰が広く伝播されている。



龍華殿 : 約2mの弥勒坐像を奉安している。弥勒仏は釈迦牟尼以後に出現する予定の未来仏で、出現するところが龍華樹の下なので龍華殿と言う。


奉鉢塔 : 釈迦牟尼の衣服と器を保管したことから衣鉢塔とも言う。衣鉢は師匠が弟子に仏法を伝える象徴物で、弥勒菩薩が釈迦如来より衣鉢を頂き、仏になり仏法を伝えると言う意味が含まれておる。奉鉢塔が龍華殿の前に立っていることは、弥勒仏が釈迦如来に次ぎ、衆生を救う未来仏であることを象徴する。


大光明殿 : 中爐殿の中心建物で、華厳経の主仏である毘盧遮那仏を仕える殿閣である。毘盧遮那は宇宙の隅々まで光を照らすと言う意味を持っている。通道寺の創建同時に建てられた殿閣で、1756年全焼、1758年建て直した。通道寺内で最古の建物である。


大光明殿の石塀にノウゼンカズラが瓦屋根と似合って綺麗ですね。


毘盧遮那仏 : 草一茎、花一本にも 毘盧遮那仏の精神が染み込んでいるので、一切萬有の根本生命体である。形で俺を見ようとしたり、音声で俺を求めると、この人は邪道を行することになるので、永久に如来とは逢えないだろう。



海蔵宝閣 : 仏教では経の保管を龍宮に置いたり、大蔵経の真理が海の中にあることから龍宮宝閣より由来したと推測される。西暦643年慈蔵律師が中国の三蔵(経蔵、律蔵、論蔵)400余の箱を持ってきて通道寺に奉安したことから海蔵宝閣と呼ぶようになった。創建主の慈蔵律師に因って奉安されたことからこの殿閣に入る門を開山祖堂と良い、1702年に書かれた慈蔵律師の真影を奉安されております。



開山祖堂 : 開山祖堂は通道寺の創建主の慈蔵律師の真影を奉安した海蔵宝閣に入る正門である。朝鮮時代の建築様式を取った祠堂の三問と似ている。



世尊碑閣 :この碑閣は1706年桂坡大師が金剛戒壇を重修して、霊骨舎利碑を建てて仏舎利の行跡を詳しく明らかにしている。中国より慈蔵律師が仏舎利を持ってきたこと、壬辰倭乱の際に泗溟大師が仏舎利の保護のために二つの箱に保管したこと、壬辰倭乱が終わってから通道寺と太白山の葛盤寺に奉安したことなどが詳しく記録されている。




三聖閣 : 三聖は高麗末の高僧だった指空、懶翁、無学の三大師の真影を奉安した建物である。他のお寺では朝鮮半島の民俗と合一された三神閣があるが、通道寺には実のえらい高僧の坐像と幀画を奉安している。





観音殿と石灯(石の灯篭): 1725年に初創されて、その以降の重修の記録はなく、瓦だけを葺き替えた朝鮮時代の建築様式の特徴を見せている。殿閣の中には百千萬億の衆生の様々な苦痛を観世音菩薩にあって、その名を呼べば観音菩薩様が直ちに煩悩を解脱してくれる大慈大悲する観音菩薩様を奉っている。いまの現代にも大勢の仏者らが訪ねて来る人気の殿閣である。前面には高麗時代の300cmの石灯が衆生を救うために夜中にも苦労をしている観音菩薩の先を照らしている。




舎利塔(浮屠):通道寺の境内の入り口のほうの南向きに、数多くの舎利塔、功績費の浮屠院がある。ここは通道寺の歴代の高僧の舎利塔、功績碑石を奉安した。浮屠60余基と石碑が60余基が並んで立っている。